「…いい?」 「うん…やろう」 俺は半裸だった。水の温度も冷たく感じられてきた夏の終わりごろだった。 半裸なのには理由があった。高校のプールの授業の後だったから。半裸というか水着。 その、ちょっと前。 くちびるを紫色にさせていた俺に、水着姿のあみなが、突然声をかけてきた。 「ちょっと話があるの…来て」 俺の返事も聞かずに、あみなはいつもの背筋の伸びた歩き方で、プール脇の用具室に向かった。他の同級生が並ぶシャワー近辺から離れたということは、他言無用の話らしい。 と言っても、恋愛方面で俺とあみなに何かが起こることは、まずない。
あの時の俺は、通う高校を完全に間違えたと後悔する毎日を送っていた。進学校に入ったくせに、とにかく成績が悪かったのだ。 頭のいいナイスガイやおしとやかな才媛がひしめく学校の中で、俺は校舎の日陰にはりついているゼニゴケみたいな存在だった。 その一方で、あみなはごく自然にクラスの中心にいる独特な存在感のある女の子で、人気者というより、性別の関係なく友達に必要とされる太陽みたいな存在だった。 細身で色白。長くてまっすぐな髪は、色のうすい天然のブラウン。背はそれほど高くないが、立っても座っても姿勢がいいので、実際よりも高く見える。
こんな感じで対照的な俺とあみなが、プールの片隅であいまみえたわけだ。 あみなは、俺の目を見てこう言った。 「あのね、今度の文化祭で出し物やるんだけど、いっしょに出てくれない?」 「え、出し物? なにやんの」 「今コマーシャルでやってる、マカレナってダンス」 「あぁ、サラ金のCMね」 「あれ、踊るの。ナースのかっこして」 「あぁ…え?誰が?」 「だから、私と、あなた」 「え…女装すんの、おれ!?」 「お願い!他にやってくれそうな男子いないんだもん」 「そりゃそうだろ!!」 この流れで、はじめにもどるわけだ。
うちの高校の秋の文化祭では、講堂でおこなわれる前夜祭がある。そこでは自由参加のアピールコーナーがあり、漫才やコントもどきのネタをやる奇特な層も毎年いた。 実を言うと、俺は他ならぬその奇特な層の常連だった。勉学が嫌なあまり演劇部の活動に逃避していた俺は、演劇部の公演でも前夜祭の出し物でも、思い出すだに顔から火が出るような痴態を演じていたのだ。 そんな俺を出し物に誘うのも無理はないが…あみな、一体どうした? しかし、水滴のしたたる濃紺のスクール水着姿で申し出てきたあみなの熱意を、俺は無下にしりぞけることはできなかった。 承諾。選択肢はそれしかなかった。
そこから始まった、放課後にダンス動画を見ながらの苦闘の日々と、前夜祭当日の結果は省略したい。俺の勝手な記憶の中では「大ウケだった」ということになっている。 本番よりもよくおぼえているのが、講堂の外で、2人きりで看護服に着替えていた時の緊張だ。 あみなは、彼女にとっておそらく初舞台となるダンスに向けて堂々と、制服から下着、下着から看護服へとてきぱき着替えた。隣に下着姿の男子がいることを忘れているのか最初から眼中に無いのか、隠すそぶりはない。 俺が、あみなから借りたブラに丸めたトイレットペーパーを詰めたものを着けて看護婦姿になると、あみなはじっと俺を見つめて、 「足りない。もっと、つめてよせて!」 と、俺の胸元にさらにトイレットペーパーのかたまりをつっ込んで、形を整えるためにぐいぐいもみしだく。 残念ながら、それに劣情をもよおす余裕と変態性を俺は持っていなかった。 ただ、そこまでしてなにかを追究するあみなの熱に、俺はひたすら感動した。 この子となら、なんでもできる。そんな気がしたことを、よくおぼえている。
あれから15年後。 あみなはなんでも、メキシコに住んで日本との友好を深める活動をしているらしい。標高2千mの高地にある村で、ダンスや紙芝居を披露していると聞いた。 聞いたといえば、どこで聞いたのかはすっかり忘れてしまったのだが、あみなは山口百恵の歌がびっくりするほどうまかった。 でも、一緒にカラオケに行くほど親しくはなかったはずだが。俺はどこで、あみなの『夢先案内人』や『プレイバックPART2』を聞いたんだろう。 俺は、いつか必ずあみなにまた逢って、山口百恵の歌を聞かせてもらおうと心に決めている。リクエストするまでは、死ねない。 ずいぶんと会っていないのに、どうして、俺はあみなのことをこうやって思い出すのだろうか。 それはたぶん、俺から見たあみなとの距離が、昔からずっと変わっていないからなんだと思う。だから、どこに行ってもあみなを忘れることはない。太陽みたいなものだ。 高校の講堂裏のとなり同士と、日本とメキシコとの距離の違いなんて、太陽から見たらほぼないだろう。そういうことだよね。