私には名前がない。 いや、正確に言うと、名前がありすぎる。 人間というのは不思議な生き物で、初めて会った生き物にすぐ名前をつけたがる。 私はただそこにいるだけなのに、会う人間ごとに違う何かで呼ばれる。 そこに意味を見出すことなんてしない。 私のことを呼んでいるのなら、返事をすればいい。 そう、気が向いたときだけ。 朝、最初に会うのは、おじいさんだ。 少しヨレたシャツにベージュのパンツを履いている、髪の毛が心もとないおじいさん。 そう、人間でいうところのおじいさんだろう。 おじいさんに会うのは決まって公園のベンチ。 いつも同じ場所に座って、缶コーヒーを飲んでいる。 私が近づくと、ぶっきらぼうな声で「ブチ」と呼ぶ。 愛想はない。 でも膝の上に乗せてくれるし、背中を撫でる手が存外優しい。文句はない。 おじいさんはなんともなしに私に話しかけてくる。 今日は膝が痛い、とか、昨日の晩飯に嫌いな食べ物が出た、とか、息子がまた電話してこない、とか。 私には関係のない話ばかりだ。でも聞いてほしそうにしているから、聞いてやる。 目を細めて、ゆっくり尻尾を振りながら。 それで十分らしい。 おじいさんは最後に必ず「またな、ブチ」と言って立ち上がる。 またな、と私も思う。口には出さないが。

昼過ぎになると、小さい人間が来る。 制服だろうか、いつも同じ格好をして黄色の帽子をかぶった男の子。 お母さんと手をつないで公園にやって来る。 私を見つけると、お母さんの手を振りほどいて駆けてくる。 毎回突進せんばかりの勢いで走ってくるから、少しだけ身構える。 「まんまる!」 まんまる。この小さい人間から呼ばれる名前。 由来はおそらく体型だろう。 余計なお世話だと思うが、小さい人間は悪意がないから許している。 ぎゅっと抱きしめられる。少し力が強い。でも温かいから、まあいい。 小さい人間は私を抱えたまま「まんまるやわらかい」「まんまるあったかい」とひたすら言い続ける。 語彙が少ない。でも悪い気はしない。 お母さんが「そろそろ帰ろう」と言うまで、それが続く。

夕方になると、高校生が来る。 制服姿で、大きなリュックを肩に掛けながら、公園の端のフェンス沿いを歩いてくる。 私がそこにいると、決まって立ち止まる。 「福助、いた」 福助、というのが私のことらしい。 最初に呼ばれたとき、何故その名前なのかと思ったが、人間の命名センスを理解しようとするのはやめにした。 高校生はフェンスにもたれて、スマホをいじりながら私の隣に座る。 構ってくるわけでもなく、ただそこにいる。私もただそこにいる。それだけだ。 たまに「今日やばかった」とか「あいつまじ意味わかんない」とか言う。 おじいさんと同じで、私には関係のない話だ。 でも誰かに聞いて欲しいのだろうから、聞いてやる。 しばらくすると高校生は立ち上がって、「またね、福助」と言って行く。 私は何も答えていない。相槌すら打っていない。 人間は勝手に話して、勝手に気持ちを整理して、少し軽くなった表情で帰っていく。

ある日のこと、いつもの時間に小さい人間が来た。 いつものように「まんまる!」と駆けてくる。私はフェンス沿いの定位置にいた。 そこへ、ちょうど高校生も来た。「福助いた」と言いながら近づいてくる。 そして公園の入り口からおじいさんも現れた。 ベンチへ向かう途中で私を見つけて、「ブチ」と呼んだ。 三人が、ほぼ同時に私のそばに集まった。 小さい人間は「まんまる!」と言いながら手を伸ばし、 高校生は「え、福助じゃん」と言って足を止め、 おじいさんは「ブチ、今日は賑やかだな」と言いながらベンチに腰を下ろした。 三方向から違う名前が飛んでくる。 私は順番に顔を向けた。どれも私を呼んでいる声だということくらいは分かる。 だから特に困ることもない。 人間たちは何やら妙な顔をしているが、むしろ私からすれば、どうして一つに決めなければならないのか、そのほうが不思議だった。 三人が顔を見合わせた。 「まんまる、しってるの?」と小さい人間が高校生を見上げた。 「まんまる? 俺は福助って呼んでる」と高校生が言った。 「こいつは、ブチだろう」とおじいさんが言った。 三人とも、どうやら自分の呼び方が正しいと思っているらしい。 ブチと呼ばれればおじいさんを見る。 まんまると呼ばれれば小さい人間を見る。 福助と呼ばれれば高校生を見る。 私にとっては、それで十分なのだ。 しばらく、三人は黙って私を見た。 私は大きく欠伸をひとつ。 それから、おもむろに毛づくろいを始めた。 だから言っている。私には名前がない。 でも、呼ばれる名前ならいくつもある。