漆黒の玉座に深く腰掛け、青年——この組織のボスである男は、手元のホログラムスクリーンを虚ろな目で見つめていた。 画面の向こうでは、純白のドレスを血に染めた少女が、カメラに向かって可憐に微笑んでいる。 彼女の名は『ルミナス』。世間が熱狂する、人類の守護者にして正義の象徴——『魔法少女』だ。 「皆さん、ご安心ください。凶悪な悪の組織は、今日も私が退けました!」 テレビのコメンテーターたちが「流石はルミナス!」と絶賛の声を上げる。だが、男の目は騙せない。画面の隅、瓦礫の陰で、彼女が踏みつけているのは、男の組織の若い構成員の骸(むくろ)だ。その顔は、恐怖と絶望に歪んでいた。 正義の魔法。その実態は、ただの一方的な虐殺(ホロコースト)だ。 彼女は、戦いという大義名分のもとで人を切り刻むことを心から楽しんでいる、底なしのサイコパスだった。しかし、その圧倒的な美貌と、振りまかれる笑顔、そして絶大な力によって、世界は彼女を盲信する。 結果、彼女に抗う自分たちは『悪の組織』と呼ばれることになった。 「……もう、5年か」 男は小さく呟き、自身の胸元に触れた。そこには、前ボスであった両親の形見のバッジがある。 10年前、突如現れた魔法少女という名の災厄。 5年前、組織の拠点が襲撃され、両親は「正義の執行」の名のもとに、なぶり殺された。当時まだ若かった男は、血の海の中で両親の遺志と、この呪われた組織のボスの座を引き継いだのだ。 世間がどれだけ彼らを悪と指さそうとも、彼らが掲げる真実の旗は一つだけ。 ——あの狂った魔法少女の支配から、この世界を、人間を解放すること。 「ボス、次の作戦の準備が整いました」 物陰から、傷だらけの幹部が静かに頭を下げる。 男はゆっくりと玉座から立ち上がり、漆黒のコートを翻した。その瞳には、絶望ではなく、静かな怒りの炎が宿っている。 「始めよう。世界を狂気から目覚めさせる時間だ」 偽りの正義を打ち砕くための、悪(われら)の戦いが、再び幕を開ける。 倒されても倒されても、それでも立ち向かい続けなければならない。

「ルミナス、本日も激戦の末に悪を撃退! 崩壊した市街地の復興支援へ」 ニュースのテロップは、今日も能天気な文字を踊らせている。 画面の向こうでは、破壊された街並みをバックに、ルミナスが「皆さん、ご無事ですか?」と健気に涙を浮かべていた。 白々しい。反吐が出る。 この10年間の戦いで、街の至るところから絶えず火の手が上がり、何の関係もない大勢の人々が巻き込まれて命を落とした。 ルミナスにとっては、街の崩壊も、巻き込まれる民間人の命も、己の『正義の戦い』を引き立てるための舞台装置に過ぎないのだ。 「……ボス、本日保護した子供たちの名簿です」 部下から差し出されたタブレットに目を落とす。 今日、戦場となった区域から救出された孤児たちの名前が並んでいた。 俺はこの5年間、ルミナスによって親を奪われた子供たちを、可能な限り組織で引き取ってきた。かつて、両親を惨殺されて拠点の血の海に立ち尽くしていた、あの日の俺自身を重ね合わせるように。 今日も、街のあちこちで凄惨な光景を見た。 倒壊した家屋やビルの側で、冷たくなっていく親の亡骸にすがりつき、声を枯らして咽び泣く子供たち。その小さな手を引いてここに連れてくるたび、胸の奥の炎がパチパチと音を立てて燃え盛る。 それなのに。 「やっぱりルミナスちゃんは僕たちのヒーローだ!」 「悪の組織さえいなくなれば、こんな被害もなくなるのに!」 ネットのタイムラインには、無責任な賞賛と、俺たちへの呪詛の言葉が溢れかえっている。 戦いを安全なモニターの向こうからしか見ていない傍観者たち(マジョリティ)にとっては、どれだけ街が壊れようが、ルミナスが『絶対の正義』であり、我々は『排除されるべき悪』なのだ。その歪んだ図式は、どれだけの血が流れようとも決して変わりはしない。 「……泣くのは終わりだ」 俺は名簿を閉じ、静かに、だが組織の全員に響く声で言った。 「彼らに、世界がどれほど狂っているかを教える必要はない。ただ、ここが彼らの家だ。そして、俺たちがその理不尽を叩き潰す盾となる」 向けられる憎悪がどれほど深くとも、この組織は俺の家族そのものだ。それだけは、あいつに奪わせない。

「神を作り出そうとした国家の、それが代償か」 俺は、暗い部屋で古い機密データのファイルをめくっていた。 10数年前、この国は未曾有の混乱期にあった。長引く不況、政治の腐敗、そして急激な治安の悪化。街には暴徒があふれ、法は実質的に機能停止に陥っていた。 追い詰められた国家が縋ったのは、あまりにも劇薬な解決策——「絶対的な力の創出」だった。 国の科学力のすべてを注ぎ込み、ある一人の平凡な少女の肉体と精神を造り変えた。 そうして誕生したのが、人類の救世主『ルミナス』だ。 開発当初、彼女は確かに真っ当な『正義』だった。国家の命に従い、圧倒的な力で暴徒を排除し、瞬く間に国の治安を回復させてみせた。 英雄の誕生に熱狂した国家は、さらに莫大な予算と資源を彼女に注ぎ込み、その力を神の領域にまで強化していった。 だが、人間には分不相応な「絶対的な力」と「盲目的な賞賛」は、徐々に彼女の心を蝕み、歪めていく。 「正義の名の元であれば、何をしても許される」 その全能感に脳を焼かれた彼女は、やがて敵を無力化するだけでなく、じわじわと嬲り殺す快感に目覚めていった。 どれほど一方的な蹂躙を繰り返そうとも、世間から浴びせられるのは拍手喝采だけ。彼女を縛るべき法も、倫理も、すでに彼女の力の前には形骸化していた。 もちろん、最初から全員が盲目だったわけではない。 「彼女のやり方は行き過ぎだ」「あれは正義ではなく虐殺だ」と、正気を保って異を唱える者たちも確かに存在した。 しかし、その声が世に響くことはなかった。 ルミナスに異議を唱える者は、国家とマスコミによって瞬時に『悪の同調者』『社会の敵』とみなされ、文字通り社会から、あるいはこの世から消されていったのだ。 そうして、都合の悪い真実をすべて闇に葬り去った結果、この国には綺麗な「正義の物語」だけが残った。 「誰もあいつを止められなかった。国さえも、化け物の手綱を握り損ねたんだ」 だからこそ、10年前、俺の両親は立ち上がったのだ。国家が諦め、大衆が思考を放棄した世界で、唯一あの狂気を「悪」と呼ぶために。 モニターの中で、今日もルミナスは汚れなき笑顔を振りまいている。 その笑顔の裏にある、国家が育て上げた底なしの怪物を、今度こそ俺たちの手で葬り去らねばならない。

「国家がその過ちに気づいた時には、すべてが遅すぎたんだ」 俺はデスクの引き出しから、古い1枚の写真を引っ張り出した。 白衣を着て、まだあどけなさが残る被験者(ルミナス)の傍らで穏やかに微笑む、若き日の父と母。 そう、俺の両親もまた、あの怪物をこの世に産み落とした科学者の一員だった。 ルミナスが暴虐の道へと走り出し、国家さえも盲目的な賞賛に狂っていく中で、両親は誰よりも早くその危機に気づいた。自分たちが創り出してしまった「正義という名の災厄」に、激しい罪悪感を抱きながら。 だからこそ二人は、数年間にわたり綱渡りの裏切りを続けた。秘密裏にルミナスの研究データを盗み出し、同時に国家の目を盗んで巨額の資金を横領。 いつか訪れる決戦のため、ルミナスに対抗しうるこの組織をゼロから作り上げたのだ。 そして両親が遺した最大の切り札であり、最大の皮肉が、今も俺たちの活動を支えている。 手元の端末に、目まぐるしく変動するチャートを表示させる。 画面に浮かび上がるのは、国家がルミナスの膨大な維持費・製造費を賄うために発行した専用仮想通貨——『ルミナスコイン』。 世界中の盲信的な信者たちが「正義への寄付」として買い漁るこの暗号資産の裏で、その発行トークンの大半を握っているのは、他でもない『悪の組織』である俺たちだ。 国家の喉元に刺さったトゲのように、両親が仕込んだシステムは今も健在だった。ルミナスコインの価格が高騰すればするほど、その差額益が自動的に我が組織の口座へと流れ込む。 「自分を維持するための金が、自分を殺すための武器に変わっているとも知らずに……滑稽だな」 ルミナスの輝かしい活躍がメディアを賑わせ、コインの価値が跳ね上がるたび、俺たちの武器や防具、そして引き取った子供たちのための食料や教育費が充実していく。この圧倒的な矛盾こそが、俺たちが10年間、国家と化け物を相手に戦い続けられた理由だった。 両親は殺された。だが、彼らが遺した牙はまだ折れていない。 「父さん、母さん。あなたたちの贖罪は、俺が引き継ぐ」 ルミナスを創ったのが両親なら、それを終わらせるのはその息子の役目だ。 潤沢な資金の数字を確認し、俺は静かに戦意を研ぎ澄ませた。

「くそっ、また、持たなかったか……!」 訓練室の冷たい床に膝をつき、俺は荒い呼吸と共に血を吐き出した。 全身の細胞が、皮膚の裏側で悲鳴を上げている。 この身体には、両親の手によって特殊な改造が施されている。 人類の科学の限界を超えたルミナスの圧倒的暴力。あれに対抗するためには、生身の肉体のままでは掠っただけで即死する。だからこそ、俺は自ら志願して、この「化け物に対抗するための肉体」を手に入れた。 強大な力には、相応の負荷(リスク)が伴う。しかし、悔やんでいる時間も、痛みに蹲(うずくま)っている暇もない。 目を閉じれば、浮かんでくる顔がある。 研究に没頭し、滅多に家に帰れなかった両親の代わりに、幼い俺を育ててくれた組織の古参の仲間たち。不器用ながらに俺を我が子のように愛し、飯を食わせ、戦い方を教えてくれた彼らもまた——その大半が、この10年の間にルミナスに殺された。 仲間を守れなかった悔しさに、涙を流す猶予さえ世界はくれない。 俺がすべきことはただ一つ。奴を打倒する力を得るために己の心身を極限まで鍛え上げ、そして、手に入れた膨大な戦闘データからルミナスの戦い方を、その癖を、呼吸を、研究し尽くすことだけだ。 ——そして。 ついに、その瞬間(とき)が訪れた。 けたたましく鳴り響く警告アラーム。崩落する本部の天井から差し込む、不気味なほど純白の光。 硝煙と瓦礫の煙を割って、ゆっくりと舞い降りてきた影。 「見ぃつけた。ここが、害虫たちの新しい巣ね」 直接対峙するのは、これが初めてではない。だが、至近距離でその姿を捉えた瞬間、俺の胸に冷たい何かが去来した。 そこにいるのは、10数年前の古い写真に写っていた、あの可憐で無垢な『少女』ではなかった。 月日は流れ、彼女の身体はすっかり成熟した『大人の女性』へと変貌を遂げている。出るところが出たしなやかな肢体、妖艶さすら感じさせる美貌。 しかし、その歪な微笑みを見た瞬間、確信した。 この女の精神(こころ)は、あの頃から一歩も進んでいない。万能の力を与えられ、周囲に全肯定され続けた結果、おもちゃを壊して喜ぶ『幼い少女』のままで止まっているのだ。 「さあ、おじさんたち。今日も楽しく、正義の処刑を始めましょう?」 大人の肉体に、怪物の力、そして残酷な子供の心。 世界が恋い慕う、最悪の『魔法少女』が、目の前で嗜虐的な笑みを深めた。

「お前らは子供たちを連れて避難しろ! 急げ!」 鼓膜を突き破らんばかりのアラームの中で、俺は喉が裂けるほどの声を張り上げた。 引き取った孤児たちを怯えさせまいと、若い構成員たちが必死に子供たちの肩を抱き寄せ、奥の防空シェルターへと誘導していく。 「ボ、ボスはどうするんですか!?」 「こいつは俺がここで食い止める。時間稼ぎくらいは……!」 ——そう、言いかけた、その刹那だった。 言葉の後半は、鼓膜を灼く轟音にかき消された。 視界が真っ白に染まる。ルミナスの指先から放たれた『高次元電磁砲(ハイパー・レールガン)』が、アジトの堅牢な隔壁ごと空間を撃ち抜いたのだ。 改造された俺の肉体と、展開した電磁シールドが、かろうじて俺自身の直撃を防ぐ。だが、凄まじい衝撃波が全身の骨を軋ませた。 煙が引いた瞬間、俺の目は、さっきまで言葉を交わしていた部下のいた場所を捉えた。 そこにはもう、誰もいない。 半径数メートルが、一瞬にして完全な消し炭と化していた。さっきまで生きていた人間が、形すら残さず、ただの黒い灰の塊に変わっている。 ルミナスは、その灰を「邪魔ね」とばかりに退屈そうにつま先で蹴り飛ばし、こちらへ歩み寄ってきた。 「あーあ、だるーい! これ撃つと、再充電に丸1日かかるのにさー! ほんと、一発で死んでくれない雑魚って、コスパ悪くて嫌い」 頬を膨らませて愚痴をこぼす姿は、まるでお気に入りのおもちゃを汚された子供のそれだ。 だが、その瞳に宿る冷徹な殺意を、俺の見識(データ)は見逃さない。 「……っ!」 次の瞬間、ルミナスの姿が視界から消えた。 いや、速すぎる。 「まずは、その生意気な顔から潰してあげる!」 一気に距離を詰めたルミナスの拳が、空気を爆裂させて俺の顔面に迫る。 『魔法少女』というメルヘンな肩書きのくせに、奴は国の最高科学が結集した白兵戦のバケモノだ。その徒手空拳には一切の隙がない。 ドガッ!!! 交差させた両腕で辛うじて受け止める。だが、改造を施した俺の骨が悲鳴を上げ、足元のコンクリートが蜘蛛の巣状に爆砕した。 「あはは! 止めた! すごーい、おじさん結構硬いんだね!」 間髪入れずに放たれる、回し蹴り、正拳突き、容赦のない打撃の嵐。 研究し尽くしたはずの彼女のモーション。頭では分かっている。軌道は見えている。 しかし、圧倒的な質量と速度を前に、俺はただ耐えることしかできない。 防戦一方。 防壁を固める俺の腕の隙間から、大人の女の艶然とした笑みと、無邪気な子供の残酷さを湛えたルミナスの瞳が、楽しげに俺を見つめていた。

「ぐっ……お、おおおおお!」 骨の砕けるような衝撃が、ガード越しに脳髄へと響く。 防戦一方。しかし、俺がここで倒れるわけにはいかない。俺の肉体が盾となって時間を稼ぐその一秒一秒が、部下や子供たち、そして近隣の住人たちが爆心地から離れるための血の贖いなのだ。 この化け物相手に、地球上のどこに「安全な場所」なんてあるのかは分からない。それでも、彼らを生かすために、俺の命はある。 「あははは! おじさん、相変わらず懲りないねー!」 ルミナスは歌うように笑いながら、さらに速度を上げた。 「だるいからさっさと死んでよ。世界中のみんなが言ってるもん。『正義は必ず勝つ』んだから、抵抗しても無駄だってば!」 ドカッ!!! 大気を引き裂くような前蹴りが、俺の鳩尾を正確に捉えた。凄まじい衝撃。だが、ここには事前に仕込んでおいた特製の強化チタンプレートが仕込んである。鈍い金属音と共に、衝撃の大半が相殺された。 手応えに違和感を覚えたのだろう。俺を仕留めたと確信していたルミナスの顔に、ほんの一瞬、怪訝な「隙」が生じた。 研究し尽くした奴の悪癖。自分の力を過信し、相手を見下すがゆえに生まれる、刹那の油断。 「……捕まえたぞ、化け物」 俺は痛みを限界まで肉体から遮断し、電光石火の速さで両手を伸ばした。 標的は、蹴り出された奴の足首だ。 「え——」 ルミナスが目を見開く。人工筋肉を最大出力で駆動させ、俺は奴の足首の骨を肉ごと握り潰した。ミシミシと不吉な音が響く。 「な、にすんのよっ! 放し——」 「黙れッ!!」 叫びざま、俺は己の身体を軸にして、ルミナスを空中高くへと放り投げた。そのまま逃がさず、遠心力を乗せてアジトの分厚いコンクリート壁へと叩きつける。 ドガァァァン!!! 壁が蜘蛛の巣状に爆砕し、粉塵が舞う。だが、まだ終わりじゃない。足首を掴んだ手をさらに引き戻し、今度は渾身の力で、頑強な地面へと叩きつけた。 ズガガガガァン!!! 「がはっ……!」 流石のルミナスもこれには耐えかねたのか、その美しい顔を苦痛に歪め、口から大量の鮮血を吐き出した。その血が俺の顔面めがけて飛び散る。 目潰し。咄嗟に顔を背けてそれをかわした。 だが、奴の戦闘本能もまた、異常な領域にあった。 視界が一瞬ブレたその刹那。激痛に耐えかねたはずのルミナスの手が、目にも留まらぬ速さで動き、スカートの奥から引き抜いた対装甲用ナイフを、俺の大腿部に深く突き刺していた。 「っ……あああああ!」 肉を裂き、骨に達する鋭い痛みが、俺の脚を駆け抜けた。

「終わりね」 腿にナイフを突き刺された俺を見下ろし、ルミナスが冷酷に微笑んだ。 彼女が両手の拳を合わせると、大気がパチパチと悲鳴を上げ、その拳に凄まじい熱量の炎が纏いつく。それは急速に圧縮され、中心部が超高温で青白く輝く、禍々しい火炎の球体へと姿を変えた。 それを俺にぶつけようと、ルミナスが一歩を踏み出した、その時だった。 「……ッ!?」 ルミナスの動きが、ピタリと止まる。 見ると、彼女の両足に、小さな二つの影が必死にしがみついていた。 「父さん! 今のうちに逃げて!!」 聞き覚えのある声に、俺の心臓が跳ね上がる。 そこにいたのは、俺が組織で引き取った孤児たちだった。もちろん、血の繋がりなんてない。けれど、彼らは俺を本物の『父親』だと慕ってくれていた。そんな幼い子供たちが、避難の列を抜け出し、自分の命の危機を顧みずにこの化け物に立ち向かっていたのだ。 「こ……のぉ! まとわりつくな、この虫けらがッ!!」 想定外の邪魔にルミナスの顔が怒りで歪む。 彼女は俺への攻撃を止め、その凶悪な青白い火炎の球を、足元の子供たちへと振り下ろそうとした。 「させるかぁぁぁッ!!」 動かないはずの、ナイフの刺さった脚を、怒りと執念だけで強制駆動させる。 子供たちに触れさせるものか。 俺は地を這うような速度で間合いを詰め、ルミナスの手元から、その青白く凝縮された火炎の球を強引に素手で奪い取った。手のひらの肉が焼ける激痛など、今の俺にはただのノイズだ。 「な、に——」 驚愕に目を見開くルミナスの至近距離。奪った球体を、俺はそのまま奴の美しい顔面へと叩きつけた。 「死ね、化け物ッ!!」 「きゃあああああああッ!!」 至近距離で、超高温の青白い球体が大爆発を起こした。 激しい爆風と熱波がアジトを包み込み、ルミナスの絶叫が響き渡る。自らの放った最大級の火力が顔面で炸裂し、さしもの『正義の象徴』も、今度ばかりはただでは済まない大ダメージを負った。 爆煙が引いていく。 そこにいたのは、もう無敵の魔法少女ではなかった。 纏っていた純白のドレスは光の粒子となって霧散し、変身が解けた彼女は、ただの『大人の女性』の姿となってその場に崩れ落ちた。ピクリとも動かない。胸が微かに上下しているのを見て、辛うじて絶命は免れたのだと知った。 「はぁ、はぁ……っ」 俺は、限界を迎えていた大腿部と両手の激痛を堪えながら、自らの左腕に嵌められていた無骨な腕輪に手をかけた。 殺された両親が遺してくれた、対ルミナス用最終拘束具。 腕輪を外して起動させると、それはナノマシンの鎖となってルミナスの両手両足へと絡みつき、その強大な魔力と身体能力を完全に封印して彼女を縛り上げた。 これで、もうこれでルミナスは動けない。 その時、崩落した天井の隙間から、何機ものドローンがアジト内へと侵入してきた。遅れてやってきた、ハイエナのようなマスコミの報道ドローンだ。 レンズが、拘束されたルミナスと、その傍らに立つ俺の姿を捉える。 俺はカメラを真っ向から見据え、傷だらけの右拳を天高く突き上げた。 『世界中の傍観者たちよ、よく聞け! 魔法少女ルミナスは捕らえた! ——俺たちの勝ちだ!!』 その声は、ドローンのマイクを通じて世界中へとリアルタイムで配信された。 静寂のあと、アジトの奥から地響きのような大歓声が湧き上がった。避難していた部下たちが、そして俺の足元で怯えていた子供たちが、涙を流しながら俺の名を、組織の名を叫んでいる。 それだけではない。 ドローンが映し出す中継映像の向こう——これまで10年間、ルミナスに街を破壊され、理不尽に大切な人を奪われながらも、『悪』のレッテルを恐れて声を上げられなかった数えきれないほどの人々が、街頭の巨大スクリーンを見上げて歓喜の声を爆発させていた。 「正義」という名の狂気に支配されていた世界が、今、目を覚ましたのだ。 向けられる憎悪を盾に変え、泥をすすりながら戦い続けた10年間。 俺の、いや、『悪の組織』と呼ばれた俺たちの悲願は、今ここに、完全に達成されたのだった。

「魔法少女ルミナス、敗北」の報が世界を駆け巡ったその瞬間、俺たちの真の作戦が始まった。 魔法少女を捕縛してからの、俺たちの行動は迅速だった。 ルミナスという絶対的な暴力を失い、恐慌状態に陥った政府の中枢機関へ、鍛え上げられた我が組織の精鋭たちが一斉に突入。 あらかじめ調査し尽くしていたルートを通り、瞬く間に政府機関を制圧した。 同時に、ルミナスを作り出し、その暴虐のデータを集め続けていた科学者たちも一人残らず捕らえた。 中には機密データを消去しようとしたり、隠し持った武器で抵抗を試みたりする者もいたが、俺たちは一切の慈悲を与えず、その場で処刑した。 彼らがこれまで見過ごし、助長させてきた『正義の虐殺』の罪に比べれば、あまりにも軽い報いだ。 そして、ルミナスの捕縛から数日後。 俺は制圧した国会議事堂の会見場に立ち、全世界のカメラを見据えて告げた。 「本日をもって、腐敗した旧政府は解体された。私は新しい政府のトップに就任し、これよりこの国の新たな舵取りを行うことを宣言する」 俺たち『悪の組織』が、文字通りこの国を征服した瞬間だった。 権力を掌握した俺が真っ先に着手したのは、徹底的な民生安定の政策だ。 ルミナスによって破壊され、旧政府から見捨てられていた街の復興作業へ、組織の潤沢な資金と人員を惜しみなく投入。さらに、ルミナスの天文学的な維持費・製造費を賄うために国民へ課されていた、不条理なまでの重税を即座に撤廃した。 すると、奇妙な現象が起き始めた。 昨日まで俺たちを「世界を脅かす邪悪」と書き立てていたマスコミの連中が、今度は一転して、俺たちを『悪の魔法少女を倒した真の正義のヒーロー』と呼び始めたのだ。連日のワイドショーでは、俺が孤児たちを救ってきた過去や、復興支援の迅速さが「これぞ求めていた指導者像」と絶賛されている。 「……掌返しとは、まさにこのことだな」 オフィスに置かれたテレビの画面を消し、俺は自嘲気味に呟いた。 大衆の『正義』など、その程度のものだ。メディアが流す映像を鵜呑みにし、その時々に都合の良い「ヒーロー」を祭り上げるだけの傍観者たち。 だが、それでもいい。彼らが掌を返そうが、世界が俺たちをどう呼ぼうが、俺たちのやるべきことは変わらない。 この国を、今度こそ誰もが怯えずに暮らせる場所へと作り変えるだけだ。

新政府の発足から数週間。 激務の合間を縫って、俺は最深部の地下監獄へと足を運んだ。 重厚な爆破耐性扉の向こうに、彼女はいた。 かつての華やかなドレスではなく、特殊繊維の囚人服を着せられたルミナス。両手両足の強固な拘束に加え、その視界は完全に遮断されている。 「だ、誰……?」 暗闇の恐怖からか、その声は以前の傲慢さが嘘のように震えていた。 「俺だよ」 俺の声を聞いた瞬間、彼女の身体がびくりと跳ねる。 「……私を殺しに来たの? ねえ、早く殺してよ。こんなの、だるい。真っ暗で、何もなくて……もう嫌」 縋るようなその言葉に、俺は冷徹な現実を突きつける。 「それはな……無理なんだ」 組織の科学班が調べた結果、彼女の身体の異常性がすべて明らかになった。国の科学力の結晶である彼女は、すでに食事も睡眠も必要としない。それどころか、細胞の超高速再生により、実質的に『不死』の存在であることが判明したのだ。首を撥ねようが、心臓を撃ち抜こうが、彼女は死ねない。 「死によってラクになることは許されない。そういうわけなんで、お前には違う方法で断罪させてもらう」 「断罪? ……正義の魔法少女の、私が?」 視界を奪われたマスクの奥から、ルミナスは困惑した声を漏らした。信じられない、とでも言うように。 驚いたことに、彼女は今この状況になってもなお、自分自身を「正義の象徴」だと盲信しているようだった。 俺は静かに、しかし一言一言を刻みつけるように語り始めた。 「お前は正義などではない。お前がその手で、どれほどの命を蹂躙してきたか、教えてやる。 俺の両親を、そして幼い俺を育ててくれた大切な仲間たちを、お前がどれほど凄惨な方法で惨殺したか。 組織だけではない、お前の『正義の戦い』とやらに巻き込まれ、何の関係もない街の人々がどれほど多く犠牲になり、子供たちが親を失って泣いたか。 それだけじゃない。お前という化け物を維持し、動かすための高出力エネルギーを確保するため、この国のインフラはたびたび機能不全に陥っていた。人々は暗闇と寒さに震え、政府からお前のための法外な重税を課され、日々の生活を搾取されていたんだ」 最初は、「……うるさい。正義の戦いに、犠牲はつきものなんだから……!」と強がっていたルミナスだった。 だが、俺が具体的な街の名前、奪われた命の数、そして彼女の輝かしい舞台の裏で餓えていた人々の現実を、淡々と、滾々と突きつけ続けるうちに、彼女の言葉は力を失っていった。 「私が……みんなを守るための、正義だったのに……」 自分が「守っている」と信じ込んでいた無関係の人々。彼らこそが、自分という存在によって最も苦しめられ、傷つけられていたという動かしがたい事実。 全肯定の檻の中で育った彼女の幼い心に、生まれて初めて、本物の「罪の意識」が刃となって突き刺さる。 「……う、あ……」 やがて、ルミナスの小さな肩が激しく震え始めた。 遮断マスクの隙間から、止めどなく溢れた涙が床に滴り落ちる。 「ちがう……私は、褒めて、ほしかった、だけ……。みんなが、がんばれって……っ、う、うああああああん!」 地下室に、大人の身体をした少女の、子供のような嗚咽が響き渡る。 泣き叫ぶ彼女を見つめながら、俺の胸中にあったのは激しい憎悪だけではなかった。 この女もまた、治安悪化に怯えた国と、ヒーローを求めた大衆の都合によって都合よく踊らされ、化け物に仕立て上げられた『傀儡』に過ぎなかったのだ。 しかし、たとえ操り人形であったとしても、彼女が犯した罪が消えるわけではない。 「泣いても、何も変わらない。お前の『本当の断罪』は、これからだ」 俺は涙に暮れるルミナスを見下ろし、冷酷に告げた。

旧政府の主要人物たちは、国民の怒りと司法のメスによって、そのほとんどが処刑台へと送られた。だが、不死の身体を持つルミナスに、死による救済は与えられない。 俺が彼女に用意した断罪——それは、広大な中央広場に特製の十字架を建て、そこに彼女を磔(はりつけ)にすることだった。 遮断マスクは外され、かつて世界中が熱狂したその美貌は、いまや民衆の前に晒されている。 そして俺は、彼女に罵声を浴びせることを国民に許可した。 「よくも、よくも私の娘を! 人殺しの化け物!!」 「正義の味方ぶって、俺の家も店も全部めちゃくちゃにしやがって!」 「死ね! 死ねないなら、一生そこで苦しめ!!」 連日のように、広場には人が押し寄せた。ルミナスの『正義の戦い』によって家族を、友人を、家や財産、あるいは平穏な日常を奪われた人々だ。地を震わせるような怒号と怨嗟の言葉が、容赦なく彼女の耳へと突き刺さる。 不死の肉体を持つ彼女にとって、石を投げつけられようが、銃弾を撃ち込まれようが、肉体的な傷はすぐに塞がってしまう。 だが、この「世界中からの凄まじい拒絶」は、どんな物理的な刃よりも、彼女の精神を深く、残酷に切り刻んでいた。 「みんなに褒められたい」「認められたい」という純粋で歪んだ承認欲求だけを原動力に、化け物へと成り上がった元・魔法少女。彼女にとって、昨日まで自分を崇めていた大衆から「悪」と指さされ、 呪われることこそが、最大の劇薬であり絶望だった。 「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」 十字架の上で、ルミナスは枯れた声を絞り出し、涙と鼻水に塗れながら何度も謝罪の言葉を口にした。 しかし、その謝罪が響くことはない。 どれだけ涙を流そうとも、死んだ人間は生き返らない。失った財産も、壊された人生も、二度と元には戻らないのだ。 何より、彼女には自分が犯した罪の総量を、その重さを一人で背負いきれるだけの「覚悟」など、最初から持ち合わせていなかった。万能の力に甘え、全肯定のぬるま湯に浸かっていた子供の精神(こころ)には、何万人もの遺族の恨みはあまりにも重すぎた。 「あ、あは……ちがうの、私は……私は、ルミナスちゃん、だよ……? みんな、応援、して……?」 数週間が経つ頃には、彼女の瞳から光が完全に消え失せていた。 向けられる罵声に対してまともな言葉を返すこともできなくなり、ただ虚空を見つめ、壊れた玩具のように、ぶつぶつと意味をなさない譫言(うわごと)を繰り返す。 世界中から向けられる憎悪の嵐の中で、かつて世界を震撼させた魔法少女の心は、内側からゆっくりと、確実に崩壊していった。 俺は広場を見下ろすバルコニーから、その光景を静かに見つめていた。 両親や仲間たちの無念が晴れたわけではない。だが、これが彼女の、そして彼女を怪物に仕立て上げたこの世界の「ケジメ」なのだ。 俺は背を向け、新政府の執務室へと歩き出す。 狂った時代は、ようやく終わりを迎えた。これからは、生き残った子供たちのために、新しい未来を築いていかなければならない。

新政府の発足から、3年の月日が流れた。 かつて世界を揺るがした激動の日々は遠ざかり、国は驚くほどの速さで平穏を取り戻しつつあった。 それを背後で支えたのは、皮肉にもあの呪われた遺産——仮想通貨『ルミナスコイン』だった。 主神であるルミナスが失脚したことで、コインの価値は暴落し、いずれ電子の藻屑と消えるだろう。俺も含め、誰もがそう予想していた。しかし、現実は違った。 ルミナスの破壊を直接その目で見ていない、被害地域とは縁もゆかりもない遠くの国々や安全圏の傍観者たちの間で、「悲劇の聖女」としての魔法少女信仰が未だに根強く残っていたのだ。 結果として、ルミナスコインの価格は暴落するどころか、かつてないほどの暴騰を記録した。 「神に見放された世界で、悪魔の金が街を救うか。本当に、どこまでも皮肉な世界だな」 俺は執務室の窓から、新しく生まれ変わった近代的な街並みを見下ろした。 トークンの大部分を握る我が新政府には、天文学的な差額益が転がり込み続けた。その潤沢な資金を破壊された街やインフラの修復に惜しみなく投入したことで、国内の復興は急ピッチで完了へと向かっていった。 だが、人々の暮らしが豊かになり、生活が完全に安定し始めると、人間の心理にはまた別の歪みが生まれ始める。 衣食住が満たされ、過去の恐怖が薄れると、民衆はもうルミナスに罵声を浴びせることなどどうでもよくなったのだ。 あの日、怒号と怨嗟に満ちていた中央広場は、いまや形骸化した「かつての戦跡」という名の観光地と化していた。人々はスマホを片手に磔台の前に集まり、まるで珍しい彫刻でも見るかのように記念撮影をして通り過ぎていく。 中には、かつての栄光を忘れられず、十字架の下で静かに跪き、ルミナスへ祈りを捧げる狂信的な人間すら現れ始めた。 だが、当のルミナスの瞳には、もうそんな光景は映っていない。 心の壊れた彼女は、向けられるのが罵声であれ祈りであれ、ただ虚空をみつめて、生ける屍のようにぶつぶつと意味のない言葉を零すだけだった。 そして、衣食足りて「正義感」を持て余した大衆の関心は、次なる標的へと向かう。 「いくら元・犯罪者とはいえ、3年もあんな姿で晒し者にするのは非人道的だ」 「今の新政府のやり方は行き過ぎている。これでは独裁ではないか」 安全な日常を手に入れた傍観者たちから、そんな勝手な声が上がり始め、インターネットや街頭で急速に拡散されていった。昨日まで俺たちを「救世主」と称えていたマスコミも、風向きを察してじわじわと新政府への批判を煽り始めている。 かつて、魔法少女の暴虐に目を瞑り、異を唱える者を「悪」として排除した大衆の愚かしさ。 彼らは何一つ変わっていない。喉元を過ぎれば熱さを忘れ、今度は自分たちを救った俺たちに向かって不満の牙を剥き始めたのだ。 不穏な空気が漂い始める国。 俺は小さく息を吐き、デスクの上の報告書を睨みつけた。世界を狂気から救い出したはずの俺たちの前に、今度は「平和に飽いた民衆の我が儘」という名の、新たな『悪』が立ちはだかろうとしていた。

「これ以上の茶番は不要だ。直ちにルミナスを回収し、磔台を撤去しろ」 民衆の間にじわじわと広がる不満の芽を摘むため、俺は迅速に動いた。これ以上あいつを晒し者にしておけば、新政府の足元がすくわれかねない。何より、あの場所はすでに「断罪の場」ではなく、大衆の身勝手な娯楽場へと成り下がっていた。 数時間後、3年ぶりに十字架から下ろされたルミナスは、新政府の秘密施設へと移送された。 頑強な拘束具はすべて外されたが、その両手には、魔法の連続発動をジャミングして無効化する特殊な機能手袋が装着されている。 ……だが、そんな大層な備えなど、今の彼女には必要ないことは一目で分かった。 虚ろな目で床に座り込む彼女の細い手足には、かつて世界を恐怖に陥れた暴虐の面影など、欠片も残っていなかった。 俺はゆっくりと彼女に歩み寄り、冷徹に、しかしどこか静かな声で語りかけた。 「もうお前を罵倒する人間はいない。……もちろん、お前が犯した罪が赦されたわけではない。だが、お前はもう二度と、自分の意志でも誰かの命令でも、人を傷つけるような真似はできないはずだ」 俺は彼女を見下ろし、部屋の扉を指し示す。 「これからは、自分の足で、自由に歩いていけ」 それが、かつて世界を狂わせた『傀儡の魔法少女』へ、俺が与えられる最後の処遇だった。新政府の庇護下から追い出し、ただの無力な人間として、この新しい世界で静かに生き、そして死ねない肉体のまま老いていけ、と。 だが、ルミナスは感情の消えた顔をゆっくりと上げ、「え?」という、心底理解できないといった表情でこちらを見た。 「自分の足で歩け……? そんなのできるわけないじゃん……」 彼女は力なく自嘲するように笑い、涙の枯れ果てた、虚ろな瞳で俺を睨み据えた。 「自由って、なに……? 何それ。私には、お父さんもお母さんも、国の人たちも、みんな『こうしなさい』って言ってくれた。敵を殺せば、みんなが『ルミナスちゃんすごい』って褒めてくれた。……私は、言われた通りに戦うことしか知らないの。自由になんて、されたら……私には、何も残らない……」 彼女の声は、低く、重く、部屋の空気に溶けていく。 「そう言って……何もできない私を、捨てるのね。また、私を一人にするんだ……」 かつては世界を滅ぼしかけた化け物が、今はただ、親に置き去りにされる子供のように怯え、俺を呪っている。 命令してくれる主(あるじ)を失い、全肯定してくれる観客を失った彼女にとって、「自由」とは救いなどではなく、暗闇の荒野に一人放り出されるのと同義の、最も残酷な刑罰だったのだ。 縋るような、それでいてすべてを諦めたような彼女の視線を浴びながら、俺は何も答えず、ただ静かに背を向けた。

床に蹲み、虚ろな瞳で俺を睨むルミナス。その弱々しい姿が、あの日、崩壊したビルの片隅で親の亡骸にすがりついて泣いていた子供たちの姿と、不意に重なった。 胸の奥が、嫌な音を立てて軋む。 理不尽な暴力を振るう化け物だと思っていた。だが、その中身を完全に叩き壊して残ったのは、誰かが支えてやらなければまともに息もできない、ただの歪な子供だったのだ。 「……勝たなきゃ、正義になれない、か」 俺は自嘲気味に呟いた。 『正義は必ず勝つ』。ルミナスがかつて無邪気に口にしていたその言葉は、裏を返せば「勝った者が正義であり、負けた者はどれだけ理があろうと悪になる」という、この世界の冷酷な仕組みそのものだ。 俺たちは勝った。だから今、こうして新政府を名乗り、ルミナスを悪として裁いている。だが、大衆はもう俺たちに飽き、新たな不満の矛先を探している。この終わりのない「正義と悪」の椅子取りゲームに、俺自身、もう心の底から疲れ果ててしまっていた。 何より、俺には誰にも言えない秘密があった。 「俺もお前と同じなんだよな……」 俺は自分の手のひらを見つめた。 先の戦いで負ったはずの、骨まで達する大怪我や、超高温の火炎による大火傷。それが、わずか数ヶ月で跡形もなく、完璧に再生してしまった。組織の医療班が極秘裏に下した診断は、俺の絶望を決定づけた。 両親が施した「化け物に対抗するための改造」。それは、ルミナスと同じ、食事も睡眠も必要としない、実質的な『不死の肉体』を俺に与えていたのだ。 ルミナスを倒せば、すべてが終わると思っていた。両親の贖罪も、仲間の仇討ちも、すべて終わって、いつか静かに眠れるのだと。 だが現実は違った。俺にはこれから、気の遠くなるような、終わりのない永劫の時間が残されている。何を目的として、どう生きればいいのかさえ分からない、底なしの絶望。 目の前で蹲る、心を失った不死の元・魔法少女。 そして、権力の頂点で孤独に佇む、死ねない身体になった元・悪の組織のボス。 俺たちは、この歪んだ世界が生み出した、全く同じコインの裏表だった。 「……捨てるわけじゃない」 俺は、部屋を出ようとしていた足を止め、ゆっくりとルミナスの方へ振り返った。 ナイフのように鋭かった俺の声から、いつの間にか棘が消えている。 「お前が一人で歩けないというなら……俺が、その手を引いてやるしかないだろう」 それは、かつての仇に対する情けだったのか、それとも、同じ永遠の絶望を背負う者への、同病相憐れむ義務感だったのか。 ルミナスが、信じられないものを見るかのように、ゆっくりと顔を上げた。虚ろだった彼女の瞳に、ほんの一筋、微かな光が灯る。 誰もいなくなった世界で、死ねない二人の、あまりにも静かで奇妙な対話が始まろうとしていた。

「手を引いてやる」と言ったその足で、俺はルミナスを連れて、組織が運営する子供たちの集まる施設へと向かった。 もちろん、中にまでは入らない。子供たちがかつての化け物の姿を見て怯えるといけないからだ。俺たちは、敷地の外にある、彼らの姿が遠くに見える丘の上に立った。 窓の向こうでは、かつてルミナスの足に縋りついたあの子たちが、仲間たちに囲まれて笑顔で笑い合っている。 「ここには……俺たちの戦いに巻き込まれて、親を失った子供たちがたくさんいる。俺は、あの子たちの盾になると決めたんだ」 俺の言葉を聞きながら、ルミナスは遠くの子供たちを見つめていた。 やがて、彼女はハッとして自分の頬に触れた。拷問のような大衆の罵声の中でも、もう完全に枯れ果てたと思っていた涙が、再び溢れ、温かく指先を濡らしていたことに驚いていた。 自分が何を壊したのか。その罪の深さを理解すると同時に、壊されたはずの命が、こうして泥の中で必死に、健気に生きようとしている光景が、彼女の壊れた心を優しく包み込んでいく。 「……う、ぐすっ……」 言葉にならない声を漏らし、子供のように泣きじゃくるルミナスに、俺はそっと胸を貸した。 俺のコートを掴み、声を上げて泣き続ける彼女の背中を、ただ静かに抱きしめる。 正義とか、悪とか、もうどうでもよかった。 俺たちがここでどれだけ苦悩しようとも、どうせ放っておけば、世界はまた誰かを正義に祭り上げ、誰かを悪と呼ぶ不毛な戦いを始めるだろう。 もう、そんな終わりのない戦いの中枢に身を置きたくない。お互いに、そんな疲弊しきった気持ちだった。 それから、数ヶ月後。 俺は新政府のトップの座を降りた。これからは、俺以外の人間たちがこの国の舵取りをしていく。 肩書きをすべて捨て、ただの男に戻った俺は、すっかり落ち着きを取り戻したルミナスに語りかけた。 「旅にでも出るか」 「どこに?」 「いろんなところに行こう。そして、人間のキレイなところも、愚かなところも、すべてをこの目で見に行くんだ」 「それって……面白い?」 少しだけ首を傾げる彼女に、俺は小さく苦笑した。 「そんなのは、俺にもわからん。でも、1人で永遠を生きるより、2人のほうが楽しいはずだ。少なくとも、話し相手には困らない」 俺の言葉に、ルミナスは一瞬だけ目を見開き、それから——かつてメディアで見せていた偽りの笑顔ではない、年相応の、穏やかで本当の笑顔を浮かべた。 「うん。……そうだね。」 そして、俺たちは誰にも知られることなく、歴史の表舞台から静かに消えた。 それからの俺たちの足跡は、どんな記録にも、歴史の教科書にも、どこにも残らない。ただ、死ねない身体を持った二人が、今日もこの世界のどこかで生きている。

ただ、それだけの存在になった。