こんな異世界旅もOK?
「異世界転生したーい!」 私は常日頃から、そう叫んで過ごしている健全な高校1年生。 この春から高校生になったばかり。 5月になった今、担任からは毎日のように部活に入れと言われている。
「待ってください、先生。私、異世界転生したいんで部活動をしている暇がないんです!」 「お前なぁ。高校生にもなって何言ってるんだ。いいか、うちの学校は部活動は強制なんだ。今週中にどの部に入るか決めなければ、俺が決めるからな!」 私とは全く意見の合わない担任。 でも仕方ない。今は多様性の時代。色んな人がいて当り前だよね。
そう思って、いつも通り学校中の色んな部屋のドアを開けていたら―― 「うわっ!? これって……!!」 科学準備室のドアを開けた先には、大きなブラックホールのようなものができていた。 「異世界キターーーーーー!!!」 私は迷わず飛び込んだ。
ブラックホールの先は、異国情緒あふれる街。 周りの人たちも様々な服を着ている。肌の色も髪の色も目の色も多種多様。それに人間っぽくない人たちも普通に歩いていた。 「やったー! ついに来たんだ! じゃあ、やることは一つだよね!」 私は冒険者ギルドを探した。
冒険者ギルドのドアを開け、受付嬢の前にまで行く。 「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」 「冒険者登録に来ました!」 「冒険者ですか……?」 「はい! よろしくお願いします!」 「わ、わかりました。職業は何で登録しますか?」 「職業……女子高校生とかはダメですよね……?」 「じょしこう……え?」 受付嬢は混乱している。 この世界には女子高校生という言葉がないみたい。 「職業って一度決めても、また変更できますか?」 「あ、はい。できますよ」 「じゃあとりあえず剣士で。剣は持ってないけど」 「そ、そうですか。かしこまりました」
こうして私は、Fランクの冒険者になることができた。 冒険者ランクはA~Fで、Aの上にはSやSSランクというものも存在しているらしい。 ギルド内にある掲示板を見て、Fランクでも受けられる依頼を探していると、ちょうど薬草採取の張り紙があった。 「よーし、やってみよう!」 私はその張り紙を取って、さっそく薬草の取れる草原に向かったのだった。
「ひっろーい!」 何処までも続く広い草原。 人もいなければ、動物もいない。 この草原は街道からは少し離れているので、人がいないのが普通なのかもしれない。 「よーし、薬草を探すぞー!」 ガサッ
薬草摘みに夢中になっていると、目の前にイノシシのような魔物が現れた。 だけど、当然のことながら私は武器を所持していない。 でもそのイノシシが私に突撃して来ても、焦りはなかった。 なぜなら異世界というのはご都合主義的に作られているものだからだ。
イノシシとの距離が1メートルほどになった時、1人の男性が颯爽と現れ、イノシシとの間に入った。 「はっ!」 ザシュッ イノシシは真っ二つに切られた。
「大丈夫か!?」 男が振り向き、私に声をかけてくる。 (キタッ! イケメン剣士!!!) これこそが、私が異世界に来たかった理由。 私の夢は、異世界で私を溺愛してくれるイケメンと出会って一生安泰な人生を過ごすことなんだから! 「お、おい?」 男は私が怪我をしていないかどうかを確認しながらも、ひざまついて視線の一を合わせてくれる。そんな彼の手を、私は両手で握った。 「始めまして! 私、マヤといいます! 助けて下さりありがとうございました!!」 「あ、あぁ。俺はBランク冒険者のオービッツだ」 「オービッツ! ねぇねぇ、オービッツは彼女とかいるの?」 「はぁ!?」 オービッツは真っ赤になって手を振り払い立ち上がった。 「なんでそんなこと、答えなきゃなんねーんだよ」 「ということは……彼女はいないみたいね」 「おい! 俺だってなぁ、お、女の1人や2人……」 オービッツは、もごもごと言い訳をし始める。 「……もしかして、彼女がいたことがない?」 「っ!! うるせー! これでもモテるんだよ、俺は!!」 私はオービッツをジロジロと見る。 程よい筋肉、整った顔、そして心に響く声。 「うん。決めた! オービッツ、私の王子様になって」 「はい!? ……意味わかんねぇ女を助けちまった……」 オービッツはそう嘆きながらも、ちゃんと私を街まで連れて行ってくれた。 「じゃあな。これからは街の外に出る時は護衛をつけるんだな」 「オービッツがいれば必要なくない?」 「俺は忙しいんだよ!」 憎まれ口を叩きながら、オービッツはどこかに行ってしまった。
一人になった私は冒険者ギルドで採取した薬草を渡し、代金を貰う。 (このお金で、宿屋にでも泊まろうかな)
そう思い、宿屋に行き、指定された部屋の扉を開けると、そこには科学準備室で見たブラックホールがあった。 (ってことは、これで元の世界に戻れるってことね) (異世界転生だと一度死なないとできないけど、私の場合は転生じゃなくて普通に内田摩耶として生きたまま、二つの世界を行き来できるってことか) 「なんて素敵な異世界ちゃん♪」
私はブラックホールの中に入り、学校に戻った。時計を見ると、異世界で過ごしていた時間はノーカウントのようだ。 「よし、決めた! 部室は科学準備室。部活動名はRPG部。この部活なら頑張れそう!」 こうして私は、部活動必須の高校で入りたい部活が見つかったのだった。 END
ダイニングバーで 後編
ダイニングバーで
蓮さんの質問に答えられなかった私は、モヤモヤした気持ちを抱えたまま帰宅する。 何もする気がせず、シャワーも浴びずにその日は就寝した。
翌日。 朝に目が覚めても、気持ちは切り替わっていない。 「今日が土曜日で良かった……」 何となく例の恋活アプリを開く。 「あれ……いない?」 恋活アプリの中から、蓮さんが消えていた。 退会したのか、それとも私のアカウントを特定してブロックしたかのどちらかだろう。 「はぁ~」 私は大きなため息をつく。 「なんで恋活アプリのこと言っちゃったんだろう。あんなこと言わなければ、今日も楽しい気持ちのまま過ごせたはずなのに」 私はベッドの上でスマホを投げる。 「というより、あそこで行かないでとか言って引き留めればよかったのに」 そこまで言ってから、私は首をかしげる。 (引き留める? なんで?) そして気付いた。 私がモヤモヤしているのは、恋活アプリをしているということを言った罪悪感ではなく、蓮さんが今日デートをしてくると言ったことに対してだと。 「私、蓮さんのこと好きなんだ……」 今さら好きになっていることに気づいても、今日の蓮さんのデートを止めることは出来ない。
私はとりあえず、今日の夜もダイニングバーに行くことにした。 ……けれど蓮さんは現れなかった。 いつもより長い時間お店にいたのに。 マスターには「どうした?」と声をかけられたけど、私は「何でもない」としか言えなかった。
水曜日。 今日は元々午後休を取っていたので、日比谷に映画を見に来ていた。 家でじっとしていると、蓮さんのことばかり考えてしまうし、どうしてあの時……という気持ちが溢れかえってしまうから。 映画を見る前に日比谷公園に来ているキッチンカーでお弁当でも買おうと思っていると―― 「えっ!? 琴乃さん!?」
急に名前を呼ばれて驚き、振り返るとそこには蓮さんがいた。 「蓮さん!? どうしてここに?」 「いや、それはこっちのセリフですよ」 蓮さんは一緒にいた同僚に先に行くように伝えてから、私の傍にまで来た。 「勤めている会社、この近くなんです」 「そうだったんですね。私は今日、午後休で日比谷に映画を見に来ていて」 「……」 「……」 挨拶はしたものの、何を話せばいいのかわからなくなり、何となく気まずい空気が流れる。 「あ、あの。明後日の金曜日。金曜日は必ずあの店に来てください」 「え?」
蓮さんはそう言うと、お昼休憩が終わってしまうからと言って、走り去ってしまった。 「金曜日……」
金曜日。 いつもならもうお店についている時間に、私はまだ電車に揺られていた。 今日、行くべきか、やめるべきかを考えていたら仕事が遅くなり、残業になってしまったからだ。 (きっとこの前の土曜日のデートの結果の話だよね。それとも別の話……?) どうするかの答えは出ていないのに、無情にも電車は最寄り駅に到着する。
(どうしよう……) 時計を見ると、いつもの時間より1時間が過ぎていた。 (このままグダグダしてたって仕方ないよね) 私は店に入ることにした。
カランコロン 「いらっしゃいませー。おっ! 琴乃ちゃん。お連れさん、待ってるよ」 「ちょっ、マスター!」 カウンターの奥から蓮さんの声が聞こえてくる。 私はドキドキしながら、カウンターに向かった。 「こんばんは、琴乃さん」 蓮さんはいつもの私の席の隣の席に座っていた。 「……こんばんは」 緊張で声が出づらかったけど、無理やり絞り出す。 「琴乃ちゃんは、ハイボールだよね」 「お願いします」
マスターに促されて席に着く。 カウンター席に座ると、前回は気にならなかった、蓮さんの体温が真横から伝わってきて、より緊張感を強くさせる。 (どうしよう……何を話せば……) 私の目の前にハイボールが置かれ、私たちは乾杯をした。 「あの、最初に言っておきたいことが」 「な、何ですか?」 「あの日は……土曜日は行ってないから」 「え?」 私はようやく蓮さんの方を振り向いた。 蓮さんは真剣な表情をしている。 (土曜日、恋活アプリの子とはデートしてないってこと?) 「あの夜、あんな聞き方をして、すっごく男らしくなかったよね。だから、琴乃さんに引かれてしまったんじゃないかと思って、逃げ出しました」 蓮さんは目を閉じてそう言った。 「私、引いてなんか……」 「うん、分かってる。日曜日にこの店に来た時に、マスターから琴乃さんが土曜日も来てたって聞いて……」 「!!」 明らかに誰かを待っているような状態で店にいたことが、マスターにもバレているということが恥ずかしくなる。 (いや、あんな居座り方をしていたら誰でも気づくか……) 「そしたら水曜日に偶然、琴乃さんを見かけて……。絶対今日は誘わなくちゃ後悔するって思ったんだ」 「そ、そうなんですね」 「うん……」 心臓の鼓動があり得ないほどに早くなっていく。 「……実は前から何度かこの店で琴乃さんのことを見かけていて……」 「えっ、そうだったんですか?」 「あの……だから、あの夜、慌ててしまって変な質問を……。本当にごめんなさい」 「いえ……」 アプリの女性とデートをしてきていいかという質問をしてきたことを言っているのだと分かり、私はうつむく。 「私の方こそ、ぶしつけにあんなこと聞いちゃったし……ごめんなさい」 私も距離感の分からない相手に、恋活アプリにいましたよね、なんて聞いてしまったことを後悔していた。 「いや、いいんです。あの、それで……喧嘩をしていたわけじゃないけど、仲直りということで乾杯しませんか?」 蓮さんがハイボールのグラスを持ち上げる。私も笑顔でグラスを持ち上げ、乾杯をした。 二人の間に和やかな空気が流れる。 「えーそれだけ?」 ずっとこちらのことを気にして見ていたマスターが、茶々を入れてきた。 「いいの、今は! そういうのは、2人だけの時に……」 そう言って、蓮さんがマスターに見えないように、私の手に触れてきた。 「!」 私はドキドキして、蓮さんもマスターの顔も見ることができなくなり、うつむく。 でも、この後に何があるのかの予想ができて、食事処ではなくなったのだった――。 END
ダイニングバーで 前編
ダイニングバーで
私はいつも大事なところで失敗をする。 あんなことを言わなければ……いやでも……。 最近私は、自宅から歩いて行ける場所にあるダイニングバーに通っている。 29歳になり、使えるお金も増えてきたし、ちょっと大人っぽいことをしたいという気持ちもあったから。 「行きつけの店っていうのに憧れがあったんだよねー」
カラコロン 「いらっしゃいませー」 マスターの元気な声が聞こえてくる。 このお店は、私と同年代の夫婦が営んでいる店で、マスターがお酒を、ママが料理を担当している。 普通のバー並にお酒の種類も豊富で、さらにママの料理が本当に美味しいので、女性客も1人で来る人が多いお店でもあった。 (だから、私も来やすいんだけど) 私はいつも通り、一番右端のカウンター席に座った。 「まずはハイボール?」 「お願いします!」 そうやって、美味しいお酒と料理を食べながら過ごす金曜日の夜は、私にとって一番の楽しみでもある。 「いらっしゃいませー。おー、蓮君。珍しいね、こんな時間に」 「今日は残業なかったんで」
蓮と呼ばれた男性はカウンター席の一番左端に座った。彼もこの店の常連客らしい。 (この店で初めて会う人だよね? そっか、男性も1人で来ることもあるんだなぁ) 「琴乃ちゃん、蓮君もハイボールが好きなんだよ」 マスターが私と彼の橋渡しをしてくれる。 「そうなんですね」 「えぇ、僕はスコッチでピートの強いアイラ系が好きなんです」 「アイラ……私は、逆でピートがダメなんですよね。だから知らない店に行ったら、バーボンやアイリッシュを頼んじゃいます」 「なるほどー」 と、初対面だったけど、ウイスキーの話で盛り上がり、気が付いたらいつも帰っている時間になっていた。 そしてその日は先にお会計をして、家に帰った。
「はー楽しかった! でも、あの人、どっかで見たことが……」 そう思いながら、何気にスマホを見る。 「そうだ! 恋活アプリだ!」 二週間ほど前に、友だちに進められて始めた恋活アプリ。 私はそれを起動してみた。 するとイイネをしてくれた男性の中に、蓮君と呼ばれていた彼の写真を見つけた。 映っているのは鼻より下だけど、間違いない。 (私は顔写真を載せていないから、向こうは気付かなかっただろうな) 今日の会話を反芻する。 「また会えたらいいなー」
それから3週間が過ぎ、金曜日にお店に行くと、今日はいつもより早い時間から混んでいた。 「すごい人だね」 「予約のお客さんが3件入っていたからね」 カウンターの席も、私がいつも座っている一番右端とその隣の席しか空いていなかった。私がいつもの席に座ると、店のドアが開く音がする。 「いらっしゃい! 蓮君。今日はいつもの席は空いていないけどいいかな?」 「もちろんですよ……って、あ! お久しぶりですね」 彼は私に気づいて会釈をする。 「お隣、いいですか?」 「はい……どうぞ」
この前に続いてお酒の話で盛り上がった。 いきなりプライベートなことを突っ込んで聞いてくるというわけではなく、共通の話題である「お酒」の話だけでここまで盛り上がれるのはすごく嬉しい。 「はー、美味しかった」 「そろそろ帰られますか? 今日は僕もそろそろ帰ろうかな」 「えっ……あ、じゃあ、マスターお会計で」 蓮さんに一緒に帰ろうと言われて、私は内心ドキドキした。店の中で話をするのと、一緒に店を出るというのは明らかに違うからだ。 けれど変な雰囲気にならないように、私は一生懸命何でもないふりをした。
「ありがとうございましたー!」 背中にマスターの声を受けながら、私たちは夜道を並んで歩く。 お店の中の賑やかさがなくなり、車の走る音だけが聞こえてくる。 「今日もいっぱい飲みましたね。琴乃さんと一緒にいると、いつもよりペースが速くなる気がします」 「わ、私もです」 一緒に歩きながら、段々と何も考えられなくなっていく。 (なんでこんなに緊張しているの、私……) 「琴乃さん? どうかしましたか? もしかして飲みすぎて――」 「あ、あの実は! 恋活アプリで蓮さんを見かけて……!」 私はうっかり余計なことを言ってしまう。 「え……」 蓮さんの表情が曇る。 (ヤバい! やらかした!!) だが、何と言って挽回したら良いのかが分からない。 「あー……そうなんだね。確かに、今は恋人を探していたから登録していたんですよね」 「そうなんですね! 私は友だちに進められて……」 蓮さんは咳ばらいをしてから、私を覗き込んでくる。 「実は明日、アプリの子と会う予定にしていたんです」 「えっ!?」 「でも……会うのをやめても良いかなとも思っていて。琴乃さんはどう思いますか?」 「わ、私……!?」 何でそんなことを聞かれたのか、そして何でそんなことを言われたのかが分からず、私はただ黙るしかできなかった。 「……すみません。変なことを聞いてしまって。じゃあ僕、こっちなので。おやすみなさい」
蓮さんはそう言うと、私の前から立ち去った。 私の心にはモヤモヤしたものだけが残り、気持ちよく酔っていたはずの感覚も消えて、後悔だけが残ったのだった。 ⇒後編に続く
雨宿りの傘
あの雨の日の夜からすべては始っていた。 喫茶店の軒先で雨宿りをしていたら、その人が店の中から現れた。 「これ、使っていいですよ」 彼は私にビニール傘を渡してくれる。 「気が向いたらでいいんで、返しに来るついでにコーヒーを飲んでいってもらえたら嬉しいです」 喫茶店は家から最寄り駅の間にある。その日は友だちと遊んでいたが、帰ってきたところで土砂降りの雨になった。 家に帰るだけだから濡れてもいいと思ったけど、あまりにも激しく降り出したので、雨宿りをしていたというわけだ。 「ありがとうございます。絶対に返しに来ますんで!」 私はその傘を受け取って、その場を立ち去った。
家に着き、傘を閉じる。すると傘の取っ手の部分に、チャームが付いていることに気づいた。 そのチャームはどこかで見たことがある気がしたが、どこで見たのかを思い出せない。 ただそれよりも重要なことに気づく。この傘はあの人の傘だったのではないかということ。 「もしかして私のせいで、あの人は傘なしで家に帰ったんじゃ……!」 翌日は日曜日。 仕事はお休みなので、明日改めて喫茶店に行ってみようと思った。 ただ、混雑した時間に行くと邪魔になると思ったので、開店時間を狙っていくことにした。
カランコロン 「おはようございます!」 「あれ、昨日の……本当にコーヒーを飲みに来てくれたんですか?」 「はい! あとそれと、昨日は傘を貸して下さってありがとうございました。あの、雨に濡れたりはしませんでしたか?」 「えぇ実は……」 「えぇっ!? 私のせいですよね! 本当にすみません! 家に戻ってからすぐに返しにくれば……!!」 「ふっ、あははは。冗談ですよ。折り畳みですが、もう一つ傘を持っていたので大丈夫でした」 私は騙されたことに気が付く。 「もう、ひどいです! 昨日の晩から、もしかして……って思っていたんですから」 「理恵さんは、優しいですね」 「……えっ!? どうして私の名前を……?」 「さて、どうしてでしょう。さっ、カウンターに座ってください。美味しいコーヒーを淹れますから」 マスターが答えてくれなさそうだと思ったので、私はとりあえず言われたとおりにカウンターの席に座ることにした。
それからというもの、私はこの喫茶店の事が気になり、週に1度は最低でも通うようになった。 おかげで他の常連客とも仲良くなり、このお店が10年以上続いているということも知った。 私がこの町に引っ越しをしてきてから5年が過ぎている。ということは、私が引っ越したときから、この喫茶店はあったということだ。 だけど私はこの喫茶店のことを意識していなかったので、ずっと知らずにいた。 (もっと前から知っていたら、通っていたのにな)
「どうしたんです? 上の空みたいですけど」 客足が落ち着き、今はマスターと私しか店にいない。 「もっと前からここのこと知っていたなら―と思って」 「そうですね。まぁ私はずっと前から知っていましたけど」 「あ! それ、私の名前を知っていたってやつだよね!」 「覚えてましたか。理恵さんは薄情ですからね。ふふ」 「それはどういう……」 話を聞こうと思ったところで、お客さんが来てしまい、話が中断してしまう。 その後は、喫茶店がとても混んできたので、私はコーヒーを飲み干してお会計をした。
数日後。 仕事が終わり、家の最寄り駅に着いた私は、大きくため息をついた。なぜならまた大雨が降っているからだ。 「今日は降らないって予報で言っていたのに……」 昔は予報が何であれ、折り畳みの傘をカバンの中に入れていた。 そして、雨が降りそうと思ったら、長傘を持って通勤をしていたが、だんだんとこれぐらいなら雨が降っても大丈夫だろうと思うようになり、長傘も折り畳みの傘も持つことが減った。 「……あれ?」
その時ふと、昔、この駅で誰かに傘をかしたことを思い出した。 ザザッ 「え、いいんですか?」 ザザッ 「でも……」 ザザッ 「俺、この近くで……」 ザザッ ザザッ 「この近くで喫茶店を経営しているので、良かったら飲みに来てください。奢りますから」 「……」
「……あーー!!!」 私は喫茶店のマスターとの本当の出会いの日の事を思い出した。 (あれは確か、私が一人暮らしを始めて間もないころだから、5年前) (傘をかした人のお店は知っていたけど、仕事が忙しすぎて後回しにしているうちに忘れちゃってたんだ) (それに、この前、マスターから借りたビニール傘についていたチャームは、あの当時私が傘につけていたチャームだ!) 全ての合点が行き、私は喫茶店に走った。
「マスター!」 「わっ、びっくりした。どうしました? そんな勢い込んで」 「思い出したの。5年前のこと!」 「……あぁ、なるほど。じゃあ、あの時のお礼のコーヒーを淹れないとですね」 マスターは落ち着いた様子で、いつも通りにコーヒーを淹れる。 「ちょっと、なんでそんなに落ち着いてるの? 忘れてた私も悪いけど……」 「ふふ、これでも喜んでいるんですよ。さぁ、こちらにどうぞ」 私がカウンターに座ると、マスターは目の前に淹れたてのコーヒーを置く。 「あとこれも」 そして、その横に折りたたまれたメモ用紙を置く。 「これは?」 それを開くと、そこにはLINEのIDが書かれていた。私は勢いよく顔を上げる。 「あの時はありがとうございました」 「……5年越しだけど、お礼も込めて理恵さんをデートに誘いたいんだけど?」 マスターの初めてのタメ語に私の心臓が大きく音を鳴らす。 こんなにも長い間待ってくれていたマスターの想いに、私は心を奪われてしまった……いや、本当はもっと前から私も―― END
君の声
「や、やめてくれー!!」 ……どうして俺は、こんなことになってしまったんだ。 ただ淡々と暮らしていただけなのに――
その日はいつもと同じように仕事が終わってスーパーに立ち寄り、値引きをされたお惣菜を買って帰宅した。家の時計は21時を指している。 「ただいまー」 誰もいない一人暮らしの1DK。それでも毎日、家の扉を開けると言ってしまう。誰かから返事が来るということはないのに。 流し台に惣菜が入った袋を置き、洗面台で手を洗ってから部屋着に着替える。 そして流し台に置いていた惣菜が入った袋と割り箸を手に取ってソファへ移動し、テーブルに持ってきたものを置いて、テレビをつけた。
これがいつもの俺のルーティンだ。 何も変わらない。なにも変えようとしない。 社会人になって10年が過ぎた今も、ずっと変わらない。 なのに―― 「おめでとうございま~す! あなたは選ばれし1000万人に1人です♪」 突然、そんな明るい声が聞こえてきた。どうやらテレビから聞こえているらしい。 「バラエティー番組? それかCMか?」 1000万人に1人だと、今の日本人は1億2000万人ちょっとになっているから、12人しか選ばれない計算になるな、と、どうでもいいことを考えてしまった。 「あなたはどんな未来をご所望ですか? 人のものを奪っても犯罪にならない特権? それとも人を自由に殺せる権利? お好きなものを差し上げます!」 「は?」 つい言葉が漏れる。あまりに悪趣味な言葉がテレビから流れてきたからだ。そこで気が付いた。テレビの画面が真っ黒になっていることに。 「え、どういうことだ?」 いつもテレビで番組を流し、スマホで漫画を読みながら食事をするのが日常化していたため、テレビを見ていなかった。だが久しぶりに見たテレビの画面は……。 「さぁさぁ、どちらが欲しいですか?」 真っ暗な画面から、場違いな明るい声が聞こえてくるという事実が、急に怖くなってきた。 俺は立ち上がってこの場から離れようとしたが、身体が動かない。気が付くと、両手両足は誰かの手で抑えられていた。……手首から上がない、<誰か>の手が。
「や、やめてくれー!!」 次の瞬間、記憶がフラッシュバックする。
「いつもいつもいつも……小言ばかり言いやがって! もう我慢の限界だ!」 「やめろ! ○○君。包丁を振りますな!」 「もうお前の言うことなんて聞かない。聞きたくねーんだよ!!」 グサッ 「キャー! いやー!」 前が何も見えなくなり暗転する。 何が起きている……?
手がヌルヌルしている気がする。 いつの間にか動けるようになっていたが、身体の感覚がおかしい。 何も見えない状態だから余計にそう感じるのだろうか? 「ねぇ」 聞き覚えのある声が聞こえてくる。と同時に、急に視界が広がっていく。 「○○。私、あのブランドのバッグが欲しいなー」 見知った女が隣にいる。どうやら俺は表参道を歩いているようだ。
「あっ! あそこの時計屋さんに入りましょう。新作が出たって聞いたの。いいでしょー」 女は豪華な門構えの時計屋の方に歩いていく。 と、そこに前から男が歩いてきた。その男は女の腕を掴み、こちらを睨みつける。 「俺の女に手を出すんじゃねぇ! ほら、行くぞ!」 「あ、ちょっと待ってよ~」 女は何の言い訳もせずに男と立ち去ってしまった。 街の喧騒だけが聞こえ、次第に目の前が暗くなってくる。
はっと気が付くと、また自分の部屋に戻っていた。 「いったい何だったんだ――」
「おかえりなさい」 「!?」 気が付くと隣には、<知らない女>が座っていた。 「だ、誰!?」 「……おめでとうございま~す!」 その声は真っ暗なテレビから聞こえてきた、あの声だ。 テレビの電源は切れており、スマホの画面も真っ暗になっている。俺はいつの間にか眠っていたのだろうか? ……けど、テーブルの上に置いていた惣菜も、その容器もない。 「意外と冷静に物事を見られる人なんですね」 女は首を傾げながら、そう言う。 「君は……誰だ?」 「私の顔に見覚えはないですか?」 「……ないと思う」 「本当に?」 何度も聞かれると不安になるが、やはり見覚えはないように思った。 「そうですか。それで、どちらがいいんですか?」 「どちらって……」 「だってあなたはすでに犯罪者なんですよ? 選ばないと捕まります」 「えっ」 そう言われると、先ほど見た二つのシーンで、「○○」と呼ばれていたのが自分だったように思えてくる。 俺が人を殺した? そういえば、途中で手がヌルヌルしていたと感じたんだった。 そう思って見てみると、俺の両手は血に染まっていた。 「ひぃっ!?」 しかし、もう一度改めて見ると、両手に血はついていなかった。先ほどの血は幻覚だったのだろう。 「血は洗えば綺麗になりますもんね」 「な、何のこと?」 「だって人殺しじゃないですか」 ぷちっという音が聞こえたかと思うと、俺はいつの間にか隣にいた女を押し倒し、馬乗りになっていた。
「私も殺す気ですか?」 「俺は人殺しじゃない!」 「この体勢で言われても……」 俺の両手は女の首を軽く絞めている。 「俺は人を殺してなんかない!」 「じゃあ、これから殺すということですか?」 「うるさい……。うるさい!!!」 両手に力が入り、俺の中のアドレナリンが噴き出す。このままでは本当に女は死んでしまうだろう。 「ぐっ……」 そして女は抵抗をするわけでもなく、俺の手によって生命を失った。 「あ~あ。〇〇にプレゼントを持ってきただけなのに、殺しちゃうなんて」 「!?」 今自分の手で殺したはずの女の声が、真後ろから聞こえてくる。勢いよく振り向くと――
「な、なんで……」 そこには、今殺したばかりの女がソファに座っていた。そして先ほど殺した女の姿はすでに消えている。 「そんなに私を殺したいんですか?」 「殺し……いや、俺は、ただ……」 血のついていない両手を見て、息を整える。 「俺がしたかったことは……」 そこまで言ってから、自分が本当は何をしたかったのかを考える。だが、何も思い浮かばない。いや、思い浮かべられないと言った方がいいかもしれない。 なぜなら俺は全てを奪われたからだ。 見ないようにしていた記憶がよみがえる。 本気で好きになった女性のためにできることは何でもしようと思っていた。その結果、利息の高いローンにまで手を付けることになった。それなのに彼女は俺を裏切り、簡単に俺を捨てたのだ。 俺に残ったのは多額の借金だけ。何もかも嫌になっても仕事には行かなくてはいけない。けど行ったら行ったで、上司からいびられ、鞄に忍ばせていた包丁を取り出し……自殺した。 「あれ……? 俺は誰も殺してないのか?」 「いいえ、自分を殺しました」 女の声のトーンが、先ほどまでとは違い低いものになっている。 「あぁ……そういうことか。これは全部、死後の世界のことなんだな。俺がまだ生きていると思い込んでいたから、こんな夢を」 「いいえ、厳密にはまだ死んでいません。本当のあなたは今、病院で生死をさまよっている状態です。このままここにいれば、本当に死んでしまいますが」 「そうなんだ。ということは君は死神か何かか? 気が動転していたとはいえ、俺は死神を殺そうとしたんだな」 すべてに納得がいき、ようやく女のことを真正面から見ることができた。女の背中には大きな鎌がある。 「さぁ、俺を連れて行ってくれ」 「このまま死んでもいいんですか? 先ほど言ったプレゼントは、本当にあげることができるんですよ」 「プレゼント……?」 そう言われて、女の最初の言葉を思い出す。 「いや、いらない。俺はもう自分の手を赤く染めたくないし、貢がされていた彼女にも未練はないから」 「そうですか……わかりました」 <死神>がそう言うと、俺の意識はだんだんと薄れていった。
一か月後。 俺は奇跡的に一命をとりとめ、社会復帰をしていた。あれは夢だったのか、それとも現実だったのかはわからない。だが女の首を絞めた感覚だけが妙に手に残っている。 俺は本当に人を殺していないのだろうか? ……それは俺にもわからない。